1986年4月20日、3月11日に成田に着いた。飛行機にはあんがい簡単に乗れた。小雨に煙る暗くてさえない寒い日本だった。グレーだ灰色だまるで経帷子だ。
この一カ月あまり、世界は、リビアのカダフィ大佐に対する暗殺計画に基づいたイギリスから飛び立った戦闘機111による攻撃事件があった。トリポリ付近にあるカダフィの作戦テントエリアがやられ、1歳になる養女が死亡し2人の子どもが負傷した。カダフィはラッキーにも他のテントにいて無事だったがショックは隠せない。ワシントンポスト紙が、これは計画的な暗殺であり、カダフィが死亡した際のメッセージも用意されていたとすっぱ抜いた。しかしもはや誰も驚かない。レーガン・サッチャー路線の国家テロが浮上しただけのこと。
ガーディアン紙の記事を引用した朝日新聞の「世界の論調:リビア攻撃、英国人の胸の内」の切り抜きがある(黄ばみが激しいので一部引用する)。
リビアに対するアメリカの強硬姿勢に英国民も内心は反発を強めているが、ベトナム戦争の時のような大衆抗議行動は起きていない。ガーディアンがその背景を分析する。
「冷酷な戦闘機に乗り込んだ米兵は、かつてベトナム全土にナパーム弾の雨を降らせた時ほど、わけもなく醜悪なものには見えないのである。...原因はなんであれ、反米主義は、もはや街頭の政治行動を鼓舞するもではなくなったらしい。」
「一方、英国人は反米ではないが、著しく反レーガン的ではあるようだ。アメリカ本国であれほど強力なレーガンの魔術だが、英国までは届かない。欧州人がアメリカの指導者に不信感を抱くのは、大抵の場合、その指導者が好戦的で短絡的で危険な人物に見えるからだが、レーガン氏はそれらの要素を体現している。こうした中で、レーガン大統領に対する無批判的賛美を隠そうとしない英国でまれな人々のひとりが、たまたまサッチャー首相その人なのである。」
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この年、ジョン・マッケンローがガールフレンドのテイタム・オニールと婚約したと記事にある。

